夢逢瀬




 ピューイ、ピューイ・・・
 鳥の鳴き声がやけに近くに聞こえる。
 目覚めて最初に見た光景は、雲の上に広がる青空。と、岩。
 起きたままの格好で、寝転がりながら目だけで眺める。
 ピューイ、ピューイ・・・
 どこから聞こえて来るのだろう?鳥の姿は何処にもないのに。
 のろのろ身体を起こすと岩の透き間に近づいた。
 下を見る。いた。
 鳴き声はよく届くのに、随分と低い所を飛んでいたようだ。
 くるくると円を描くようにして鳥は飛んでいる。
 やがて、小さな点になり見えなくなった。
 ここはとても高い所なのだ。見上げてばかりいた鳥が、あんなに下を飛んでいる。

 ?

 「ここ」は何処だ?ここは・・・。
 ???
 空を見る。澄み切った青空。雲は自分のいる所にも、上にも下にも広がっている。ゆっくりゆっくり形のかわるそれを眺める。
 彼は突然思考を停止させて、ただその美景を見つめた。
 思考を停止させた、と言うよりも、思考を続けるだけの材料が彼には無かった。「ここ」に関する手掛かりがあまりにも無さ過ぎる。
 そもそも「ここ」で目覚めた瞬間に彼は違和感を感じてはいるのだが、だからと言って「ここ」で目覚めた事に疑問を感じる程、彼は自分の事を知らなかった。自分を知らない。ならば、優先される疑問は自分の事であり、「ここ」では無い。「ここ」で目覚めた事を疑問に思うのは、「ここ」以外の場所で目覚める記憶を持つ者が疑問に持てばいい。
 彼は知らない。「ここ」以外を。あるのは最初に感じた違和感と、「ここ」が布団の上ではない事実。布団の上で寝ていなかった事だけが、彼に漠然とした違和感を与えていた。そう、確かに。彼は布団の上で寝なければいけなかった筈なのだ。だが「ここ」に布団は無い。あるのは固く冷たい岩壁だ。
 彼はやがて大きな欠伸を漏らすと、再び空の見える位置でごろりと横になった。雲を追うのは飽きてしまったらしい。だが、空は好きだ。たとえ毎日何時間と空だけしか見るものが無いとしても、真っ暗の岩壁よりは遥かに彼の気を引いた。空は僅かながらでも変化がある。時間とともに変わる色。太陽は移動し、星が輝く。その中でもやはり興味を引いたのは、日毎に必ず形を変える月だった。月は空の様に色を変え、太陽のように移動し、星のように輝き、更に形が変わるのだ。
 彼は月が見たくて夜更かしする。最も、彼の回りに時間の観念など無いが。
 そして今日も彼は眠る。もうすぐ熱い、日差しの中・・・。



「何度言ったら分かるんだっテメェはっ!!!」
「イデーーーーっっっ!!!」
 せっかく気持ちよく寝ていた所に、鬼のような罵声とハリセンを浴びせられ、悟空は文字通り跳ね上がって飛び起きた。
「何すんだよっ!!俺なんにもしてねーじゃん!!寝てただけなのにぃ!!」
「ああ、寝てただけだな。ゆ・か・の・う・え・で」
 グッと力を入れた握り拳を視界に入れた時にはもう遅かった。脳天に重く鋭い痛みが走り抜け、不覚にも涙が溢れてしまった。
 この金髪美形は体力無しの根性無しのくせに、人を叩いたり殴ったりする時の手業だけは異常に痛いのだ。これは力では無くて何かコツがあるのかもしれない。『人の頭を十倍痛く叩く方法』なんて本が机の引き出しから出てきたらすごく嫌ではあるが。
「だってさー・・・柔らか過ぎんだもん。寝れねーよ」
 ずきずきと痛む場所をしきりにさすると、少しだけ痛みが減った気がした。
「・・・・・・何度も言ってるだろ。「ここ」はお前がいた所とは全然違う所で、自由も何にも無ぇ所なんだよ。以前はお前一人で自由気ままに岩場だろーが木の上だろーが好きな所で寝てたんだろうが、ここはお前一人じゃ無いし、俺は一応お前の飼い主らしいからお前がやった事は俺の責任になるんだよ。熱なんか出して見境無く暴れたらどうするんだ。ずっと外で暮らしてた時は免疫力も強いが、室内で(しかもこんな温度変化の無い所で)暮らし始めたら免疫力なんてあっと言う間に落ちる。お前の場合は急激な環境変化に伴う精神的圧迫感から病気にならないとも限らない。病気なんかになられたらはっきり言って迷惑だ。誰が看病するんだ、面倒臭い。お前は天人でも人でも妖でも無いから薬酒が効くのかもわからん。だから日頃から体調は自己管理してさっさとこの環境に慣れて貰わないと困るんだ。分かったか猿。それが出来ねぇってんならお山に帰れ。俺は構わん」
 一息に並べられた言葉。最後の言葉だけが繰り返し脳内を駆けめぐり、悟空を圧迫する。
「う・・・ぐずっ・・・うぅ・・・・」
 白い着物の端を小さな手が掴んだ。
「何だ」
「う・・・・・・・何言ってんか分かんねぇ・・・ひっく・・」
「・・・期待して無ぇよ・・・・」
 裾を握りしめている拳を大きな手で包み込む。手を繋いだまま布団まで連れていくと、素直に連れられていた。
 冷たい布団にぺたりと座り込む。大きな手が、優しく痛い部分を撫でると、なんだか痛みが無くなってしまったように感じた。
「あーあ、こぶになっちまった。明日には引っ込んでるといいけどな」
 寝ころぶ時に振動がこぶに響かないように、頭を支えてゆっくりと降ろしてくれる。こんな風に後から気遣うのなら最初からやらなければいいのだが、これは゛しつけ゛と言うものでとても大切な事らしい。事実、この優しさが溜まらなく嬉しくてますます愛情は深くなる。
 時々何を言っているか理解出来なかったが、日頃から彼の口癖である「面倒臭い」と「出来ないなら帰れ」は十分過ぎるほど理解できた。
 一人の時の方が楽だったけど、一人の場所に彼はいなかった。離れたくないから、今度から布団で寝る。



 うだるような暑さの中、目覚めた。太陽は天中にあり全てを照らす。
 身体中何処もかしこも汗濁。だが、不快感のある暑さでは無く、むしろ気持ちのいいものだった。
 岩の中に移動する。影になっている部分はひんやりと涼しく、赤く火照った皮膚を引き締めてくれた。
 身体を動かす度に、じゃらりじゃらりと鎖が鳴る。鎖は長くも無いが岩穴自体が狭かったのであまり気にならないようだ。
 それにしても邪魔な鎖だ。取りあえず腕を引っ張ってみるが、ただ手首が痛くなるだけで、鎖は軋む気配すら無い。
 手首が抜けないのなら岩壁から繋がっている部分が取れないかと思い、しっかり握って引っ張ってみたが、やはり無理だった。
 自分はこんなに力が足りなかっただろうか?
 ふと、疑問がよぎるが、やはり深くは考えなかった。
 まあいい。どうせここにいる限りは、これがあろうと無かろうと、関係無い事だ。
 外す事は諦めた。せっかくなのでそれをじゃらじゃら鳴らしてみると意外に楽しかった。岩壁に叩き付けるとキン、と響くのが面白くて、暫くは鎖をぶつけたり擦ったりして遊んでいたが、太陽が傾き色が変わる頃にはもう飽きてしまい、横に寝ころんでじっと沈む太陽を見つめていた。
 彼は退屈で仕方がなかった。何もする事が無ければ、何が自分に出来るのかも分からない。毎日毎日、寝て、空を眺めて、そして寝て。ただこれの繰り返し。
 赤ん坊のように真っ白な、思考を持たない頭は眠くなったら寝て、飽きたら起きる。ただそれだけである。感情を教えてくれる者は何処にもいない。夢の中の住人は、思い出すには曖昧すぎて。
 外敵の無い生物は、よく寝ると言う。何もない彼はよく眠る。覚えてもいない夢の中に、まるですがりつくように。



「これ、外しちゃ駄目なの?」
 額の禁錮をガリガリと外そうとするが、何故か外れなかった。そんなにぎゅうぎゅうと頭を締め付けているのでも無いのに、何故か外れない。
「・・・さあな。俺は知らん」
 素っ気なくそう言って、いつものように判子押しに全力を傾ける。書類の一枚一枚が、丹誠込めた職人技である。
「なんか知らない間に付けられたんだ、これ。腕のヤツも邪魔なんだけどなー」
「外すなよ」
「やっぱり知らなく無いんじゃん」
 すぐ隣りに近づいて顔を覗き込むと、いつもの呆れ顔で手を止めた。
「外そうと思っても外せんだろうが・・・万が一って事もあるしな。それを外すとお前はな・・・」
 真剣な表情で見合う。
「お・・俺は?」
「俺に迷惑をかける。だから外すな」
「なっ・・・なんだよ、それ!!結局わかんねぇじゃん!!」
 期待を裏切るつまらない答えにがっかりし、悟空は思わず叫んだ。だが、再び真剣な眼差しで見つめられ、言葉が詰まる。
「分からなくても、外すな。覚えておけ、悟空。お前がここで自分自身の判断でやった事でも、全ては俺の責任になる。お前がそれを外せば何らかの責任が俺にのし掛かり、お前だけじゃ無く俺まで破滅に導く事さえあり得るって事をな」
 ぽん、と頭を撫でられる。その手があまりにも優しすぎて、悟空は泣きたかった。ぐっと涙を堪えて、その言葉の意味、強さを身に刻みつける。
 優しくて厳しい、美しいだけでは無い此の人の愛情を。



 幾日が過ぎたのだろう。そもそも時間の観念が無いこの場所では、今がどの季節なのかも分からなかった。
 ここは下界から遠すぎる。しかし天からも見放されている。
 もはや鳥の声さえも届かなくなっていた。それとも今は冬なのだろうか。そうだとすれば、春になればまた鳥の鳴き声くらいは聞けるようになるだろうか。
 その声も遠い記憶と成りつつあったが、それでも少ない記憶の一つを、忘れないように彼は呟く。
「・・・ピューイ、ピューイ・・」
 彼は知らない。「ここ」がどんなに高い所かを。
 あの時見えたあの鳥は、高見を目指しすぎて羽ばたき疲れ、休む木の枝も無く落ちていった事を。
 誰も訪れないこの場所で、彼はますますよく眠るようになる。
 眠ると決まって同じような夢を見た。
 同じでは無い。だが、いつも見るのは彼の人の夢。目覚めるとおぼろげで、いつも思い出す事が出来ないのに、それでも身体はいつしか彼の人に逢いたいが為に眠りを選択していた。
 一体誰なのか分からない。だが、そんな事はどうでもよい。彼の人は、今では悟空にとってとても大切な人だった。
 何も無い今の悟空の、たった一つの愉楽。
 彼の人に逢えるなら。彼の人に逢えるから。
 彼は何もない「ここ」で、空と夢を見続ける。



 貴方に逢う為に、眠り続ける。





何なんだろう、この不発な話は・・・。
 




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