始まりの音


 年の暮れ。
 昨日まで降り積もっていた雪もふわりと散り納め、今はしんと深蒼の景色の中、佇む。既にとっぷりと日も暮れて、黄やオレンジの窓明かりだけがぼんやりと浮かび上がっていた。
 その日キャロと言う名の山間にある小さな街では、別段祝いの宴やお祭りのような騒ぎがあるわけでも無く、相変わらずの平穏な佇まいが流れていた。街の中心部にある重厚な屋敷の中でもやはり特別いつもと変わった事は無く、ただいつもの食事前の祈りの言葉の中に「今年一年、家族一同が健康に恵まれ、仲良く幸せに暮らせました事を、神に感謝致します」と言う言葉が加えられただけだった。
 その台詞をこの家の長男であるジョウイ・アトレイドはつまらなそうに繰り返した。明日はきっと「新しく迎えた年を健康に、仲良く幸せに暮らせますように」と台詞が変更される事だろう。
 そうしていつもと同じ時刻にベットに潜り込んだ。
 キャロでは年明けの瞬間、街外れの聖堂で鐘の音を鳴らす。他の家では家族みんなでその音を聞き、新しい年の瀬を祝ってから眠りにつく家庭が少なくなかったが、規律正しいこの家ではただの一度も家族全員でその音を聞いた事は無かった。
 あるいは自分一人だけが、一人で鐘の音を聞いているのかも知れない。
 ふと、ジョウイはそう思った。
 父と母の寝室は一緒だし、まだ小さい歳の離れた弟の部屋は両親の寝室のすぐ向かいにあった。もしかすると、否、あの父に限ってそんな甘い雰囲気では無いだろうが、鐘の音でもし弟が夜中に目覚めてしまった時に泣いたりしないように、顔くらいは見に行っているかもしれないと、そう思った。最もそんな事はジョウイにとって、今更どうでもいい事だったが。
 ふと、ジョウイは起き上がり、大きな音を立てないようにそっとカーテンを開けた。
 急に星が見たくなったのだ。昨日までは雪が降り続き、空は雲に覆われていたし、それに雪が止んだ後の空気はとても澄んでいるような気がして、きっといつも以上に綺麗に見えるだろうと思ったのだ。
 暖められていた部屋の空気が引いたカーテンと窓の間に溜まっていた冷たい空気と混ざり合いほんのり冷える。窓も開けようと思ったけれど、さすがにこれ以上冷えてしまっては本当に寝付く事が出来なくなると思い、止めた。後一時間程で日付が変わる。なんだが妙に意識が冴えてしまっているが、鐘の音を聞いたらちゃんと寝ようと思っているのだ。
 窓から見える向かいの家にはまだ明かりが灯っている。その家の夫婦はとても気さくな人達で、いつもジョウイにも明るく挨拶を交わしてくれた。きっと今頃は暖炉の回りを家族みんなで取り囲み、今年あった事の思い出話や来年の抱負などを語り合っているのかも知れない。一番末っ子のロイなどは、大きくて暖かい父親の胡座の上で、眠い目を擦りながらうとうとしている事だろう。
 別にそう言う事をしてみたいとか、羨ましいとか思う訳では無いが、ジョウイは何となく夜空の星の煌めきよりも、地上に浮かぶ窓明かりを見つめていた。
 そうして数分も経たぬ頃だったか。ジョウイは蒼い雪明かりの中を誰かが歩いて来るのに気が付いた。音が聞こえる訳では無いが、サクサクと新雪を踏みしめてジョウイの部屋のある方向に真っ直ぐ進んで来るのが分かる。その小さな人影がはっきりと浮かび上がる前からジョウイにはそれが誰であるか分かっていた。彼の幼なじみのファンランである。
 彼は寒くないように厚手のコートを羽織り、フードをすっぽりと被っている。手には普段から愛用している防護用の革手袋では無く、彼の姉であるナナミが聖誕祭の時にくれた毛糸の手袋を着けていた。
「恥ずかしいから着けないって、あれ程言ってたのに」
 本人が見て無い所で着けるなんてひねくれてるな、とジョウイは思う。それから何故こんな時間にこんな所を歩いているのか考えようとしたがすぐに愚問だと気付き止めた。自分に会いに来る以外に理由が無かったからだ。
 思わずジョウイはくすりと笑う。まるで笑われた事に気付いたかのように、それまで足下を見ながら歩いていたファンランが急に窓の方に顔を向けた。窓際に立って笑うジョウイに気付き一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに満面の笑顔になり、ジョウイに向かって大きく手を振った。雪を掻き分けるように急いで屋敷の近くに来ると、身振り手振りで会話する。どうやらジョウイに下まで来いと言っているようだ。まあそんな事は彼の姿を見つけた時から言われなくても分かっていたが。
 ファンランの息の白さから、外がどれだけ寒いか見て取れる。「ちょっと待ってて」と手振りで伝え、それにファンランが大きく頷くのを見届けてからジョウイはクローゼットから着替えを取り出した。寝間着を脱いで、寒くないようにトレーナーを着込む。その上にフード付きの毛皮のコートを羽織ってから、ちょっぴりくたびれた新品の手袋を着けた。ファンランと色違いの手袋だった。部屋履きを几帳面に揃えてからブーツを履く。最後にクローゼットの一番奥から手作りの縄ばしごを取り出した。音を立てないようにそっと窓を開けてロープの端をベッドの足にくくりつけたら、手際よくするするとロープを伝って2階の窓から脱出する。随分手慣れた行動で下まで降りて2人は無言で顔を見合わせると、一気に屋敷から遠ざかって行った。


「寒いね」
「うん、すごく寒い」
 屋敷から逃げるように駆け出してきて数10分。さして広くない街の外れの丘まで来た2人はそこでようやく口を開いた。いつもならここまで余裕で駆け上がって来れるのに、今は足に絡まる雪のせいで余計に息が上がってしまっている。思わず雪の中に倒れ込むと、思いの外柔らかい雪の感触を感じた瞬間、思い切り雪の中にはまっていた。
「冷たっ!!首に雪がー!!」
「あはははははは!!!」
 2人で笑い転げる。来た方向を振り返ると、2人の足跡だけが延々と続いていた。ぽつぽつと暖かい窓明かり。丘から一番近くに見えるひときわ明るい松明の明かりは聖堂の明かりだろう。
「・・・割と起きてる家が多いんだね」
「ナナミも起きたがってたけどね。今朝から少し風邪気味だったみたいでゲンカクじいちゃんに寝かされてたよ」
「へえ、今朝会った時は元気に大掃除してたのにね」
「うん。ナナミは意地っ張りだからさ」
 言いながら両手にはぁっと息を吹きかけるファンランを、ジョウイは横目でちらりと見る。自分のものもそうだが、毛糸で編まれた手袋は雪の洗礼を受け過ぎていて、既に冷たくなってしまっているのだ。いっその事手袋を脱いでしまって直接手を暖めた方が余程良いのに。
「意地っ張りはどっちだよ」
 ジョウイは自分の手袋を外すとファンランの手袋も取り去って、息を吹きかけた。何と言い返そうか考えているのだろう。そのまま暫くはされるがままに手を預けていた。
「・・・だってせっかく編んでくれたのに、着けてあげないと可哀想だろ?」
「そう思うんならナナミの前で着けてやりなよ」
「そりゃジョウイのは2つ目のだからまだいいかもしれないけど、僕の何か親指の付け根の所に穴開いてんだよ?」
 僕らのを実験台にして、自分とじいちゃんの分は後から作ったんだから。そうぼやきながらふくれっ面になるファンランを見てジョウイは思わず吹き出した。手を握りながら苦しそうに笑うジョウイ。まだ冷え切ったままの手を握り返して、ジョウイの冷たい手をファンランは真っ赤になった自分のほっぺたにくっつけた。
「あははっ・・・は・・あったかいね、ほっぺた」
「ジョウイの方が手ぇ冷たいよね」
「笑い過ぎてあったかくなってきた」
「涙にじむほど腹筋運動すればね・・・」
 両手を握りしめたまま黙り込む。ジョウイの手は、しばらくそうやっていても氷のように冷たいままで。でも、目の前にあるジョウイの顔にはほんのり朱色が差し込んでいて、ファンランはちょっぴり安心した。
「・・・おしり冷たく無いかい?」
「そうだね」
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ファンラン」
「何?」
「どうして呼びに来たんだい?」
 にっこりと微笑みながら問いかける。理由など何となく分かってはいたが、言葉にして聞きたいのだと、笑顔が語る。再びファンランの顔が赤くなっていき、ジョウイはのんきに(手があったかいなー)などと考えていた。
 ファンランはだまりこくったまま街の方に目を向ける。ジョウイに話す言葉を選んでいるのだろう。ファンランは決して喋らない子供では無い。けれど、子供なのに人と話をする時には言葉を選んで選んで、ゆっくりと慎重に会話するのだ。子供心に街の人達の態度を感じ取り、自分の余計な言葉が家族の負担にならないように気を使っているのだ。そのせいかファンランは考えに入ると一端黙ってしまうクセがある。本人曰く、「ジョウイみたいに頭の回転が速くないから、ゆっくり考えないと喋れないんだよ」と言う事らしいが、もう少しくらい気楽に生きたっていいのに、とジョウイは自分の事など棚に放り投げて思っていた。そしてじっと、答えが返らない訳じゃないので、言葉を待った。
「・・・・僕の家、毎年鐘の音をゲンカクじいちゃんとナナミと3人で聞いてから寝るんだ」
「うん、知ってるよ」
「・・・じいちゃんはいつも早く寝ろって言うけど、大晦日の晩だけは鐘を聞かせてくれたんだ・・・でも今年はナナミが風邪引いて・・あ、風邪って言っても熱がある訳じゃないし、本人暴れるくらい元気だからジョウイは心配しなくてもいいからね」
 暴れる・のあたりでぷっと吹き出してしまった。本当に暴れた訳では無いだろうけど、大した風邪じゃ無いんだからとごねるナナミの姿が容易に想像出来てしまって。
「・・・で?」
「・・・・それで、・・・・・・えっと・・・ナナミがいないから、とか、一人じゃつまんないとか、そんな事じゃ無いんだけど・・・でもナナミがいない事なんて滅多に無い事で・・・ええと・・・ジョウイの家は寝ちゃうって聞いてたし、その、・・・チャンスだとか思った訳じゃ・・いや、少しは思っているけど・・・・えっと・・だから!!・・・」
 しどろもどろになりながら言葉を紡ぐファンランを、じっと微笑みながら見つめる。ほんの少し握りしめた手に力を込めて、ファンランは1つ大きく深呼吸して言った。
「年が明けて誰よりも一番最初に、ジョウイにおめでとうって言いたかったんだ」
 とうとう堪えきれなくなったジョウイが爆笑する。真面目に、真剣に自分は告白したのに馬鹿にされた気がしてファンランはむっとした。
「何だよっ!!子供っぽいと思ってんだろ!どーせ僕は子供だよっ!!!」
「あはははは!!!誰もそんな事思って無いよ!!わはははは!!!」
 雪の中に突っ伏してまで笑い続けるジョウイに段々怒りを通り越して呆れてくる。
「・・そりゃ、ジョウイにとってはどうでもいい事かもしれないけど、でも僕にとってはとても重要な事なんだ・・・・」
「あはっ・・ははは・・・ねえ、ファンラン」
「何?」
「やっぱり僕らはとてもよく似てるよね」
 くく、と笑いを堪えてジョウイが言った。
「僕も、君と一緒に鐘の音を聞きたかったんだ」
 2人顔を見合わせる。笑い過ぎのせいか、それとも別の理由で赤くなっているのかもしれないジョウイのほっぺたに手を触れると、その色に反して表面はとても冷たかった。既に熱っぽくなっている自分の身体はどこもかしこもほかほかで、冷たいジョウイをあっためてやりたくて身体ごと近づく。ほっぺたを包み込んだままだと自然に顔が近づく体勢になって。(あ、キスされるかも)とジョウイが思った瞬間、高らかに鐘の音が鳴った。
 そんなに大きな音じゃないのに、澄み切った音色は街中に響きわたる。ほんの数回の音が鳴り止むまで、2人はじっと聖堂を見つめていた。
「・・・明けたね」
「年越しだね」
「今年もよろしくお願いします♪」
「いえいえ、こちらこそ♪」
 幼い頃から一緒だけれど、出会って初めて一緒に年を越した。初めて一緒に鐘の音を聞いて、そして一番に挨拶もした。何もかもさい先の良いスタートで、今年も2人一緒にいれば何もかも上手くいくと、そう思った。
「・・・寒いしそろそろ帰らないかい?」
「うん、そうだね」
 ギュギュッとポケットに手袋を押し込んで、2人は手をつないで丘を降りた。来た時と同じように、2人だけの足跡を残して。
「あ、忘れてた!!」
「何を?」
「せっかくジョウイと2人っきりで年越したんだから今の内に初ちゅーとか初エッ・痛ぁっっ!!何すんだよ、ジョウイー!!!」
「どうしてそんな事考えるんだよ!!」
「あ、分かった!心配しなくても雪の上でなんていくら僕でもやらないよ♪」
「・・・・・・・・・誰がそんな心配してるよ・・・・」
 年の初めからこれでは一年が思いやられる。
 思わず今年初めの溜息を、盛大につくジョウイの姿がそこにあった。


 結局2人は元旦の昼過ぎに、揃ってベットに倒れ込む事となる。雪の中に約1時間もたたずんでいれば風邪を引くのも当然の事で。くすぶらせていた風邪が、昼に挨拶にやって来たジョウイと初稽古をした後に悪化したのだった。入れ替わりに元気になっていたナナミが大急ぎで町医者を連れて来て、看病しやすいように2人は大きいゲンカクのベッドに寝かされた。朦朧とする意識の中でジョウイは隣のファンランに話しかける。
「初ちゅーと初エッチは無理でも、初ちゅーしゃと初ベッドは達成できたじゃないか・・・良かったな、ファンラン・・・」
「・・・・・・・あんまり嬉しく無い・・・・・」
 2人で迎えた初めてだらけの年の初め。ろくでもないこともあるけれど、2人一緒にいればきっと何もかも上手くいく。
 まずはナナミ特製の薬湯を励まし合って飲みきる事が、2人で乗り切る今年最初の試練となった。


END.



幻水デビュー作がこれか・・・書いてる最中に「正月に何でも初と付けるのは年寄りの証拠」と言う言葉を思い出してしまってちょっぴり切なくなってしまったり。何か意味の無い話だわ、前半線の前フリは本当に必要ないわ、オチはダジャレだわ、こいつら何歳の頃の話かようわからへんとか色々突っ込みたい事は山ほどありますが、半年ぶり位に小説書いたのと、所詮ダメの佐喜が書いたものだと思って綺麗さっぱり水に流してくれるとありがたいかと。
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