月ガ在ルト夜

 
気が付けばそこに在った。
 小さな岩壁の部屋。光の見える窓には岩の格子。
 閉じ込められている事が分かった。
 他にも分かる事がある。
 まず自分の名前。以前誰かに「悟空」と呼ばれた事があった、
 それから物の名前。鎖。足枷。岩。風。空。大地。闇。光。太陽。月。キンイロ。
 言葉が存在した。話相手なんていなかったけど、すごく退屈だったから。
 初めの頃は色んなものを相手に話しかけていた。
 当然返事が返って来るわけは無く、会話はいつも空振りで終わる。
 退屈で、退屈で。それでも何もやる事は無くて。
 退屈すぎて、色んな事を考えた。あまり考えるのは得意じゃ無いけど、それでも何もしないよりは遥かにマシで。
 何でこんな所にいるのか、考えても分からなかった。
 何か大切なものを忘れているような気がするんだけど、それが何かなんてどんなに考えたって分からないし、忘れてるって事はあんまり良くない事のような気もした。
 ここだけが時間が進んで無い事にも気が付いた。
 俺にしては良いところに気付いたと思う。だってお腹がなかなか空かない。絶対におかしい。
 月があんまりおいしそうだったから、何度も手を伸ばした。絶対に届かないと分かっていたけど、何度も。
 その度に重りに繋がれた足枷が擦れた。何日も月が昇る度に同じ事をしていたら、枷で擦れていた所が真っ赤に腫れ上がっていた。
 すごく痛くて、暫くは何も出来なかった。時間が進まない所に居るせいか、治るのに長い時間が掛かった。
 太陽と月が毎日代わる代わる昇る。途方もない月日の繰り返し。
 空はひたすら青くて、黒くて、赤かった。
 何度も懲りずに手を伸ばす。何度やっても掴める筈は無く。
 簡単に壊せそうなのに、格子は絶対に壊れなかった。
 太陽の出てる時は朝だった。月の出てる時は夜だった。
 時々、月の無い夜が在る。それは夜では無くて、闇。
 闇の時は空っぽになる。何も考えないで、ただぼんやりと闇に沈む。
 初めの頃は、それが静かすぎて嫌だったのに、時間が経つにつれて、その方が楽になってきた。
 少しずつ、考える事を忘れていく。少しずつ、言葉を忘れていく。もう、自分に話し掛ける事もしなくなった。言葉を忘れて久しい。
 誰かに、名前を呼んで欲しかった。
 何もかも、たった一つ自分の事で覚えていた名前さえも忘れる前に。
 誰かが付けてくれた自分の名前。絶対に忘れちゃいけない俺の名前。これ以外の名前はもういらない。
 俺が俺である証明の名前。
 誰でもいい。
 誰でもいいから、名前を呼んで欲しかった。
 ・・・・・・・・・・・。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?
 誰でも・・・・・・・・・いい・・・・・・・・??
 誰でも・・・・・誰かに、・・・・・名前を呼んで欲しい・・・。
 誰か。誰だ?・・・・・誰か、ただ唯一の人。
 誰だか分からない。けど、誰か。
 どうか、俺の名を呼んで。
 誰か、俺の名前を呼んで。
 ゛誰か゛、俺の名を・・・!!
 声にならない声で叫ぶ。耳障りな程の奇声が岩壁に反響する。
 何日も、何日も、声が枯れるまで叫び続けた。
 声は返らない。曖昧な記憶の中で、誰かが自分の名前を叫ぶ。
 その記憶すら自分で作り上げたニセモノの思い出に過ぎず、声が枯れて疲れ果ててしまう頃には、その思い出すら忘れていた。
 もう何も無かった。
 壊れた人形の様に壁にもたれ掛かったまま、何日も動かなかった。
 ただ同じ事の繰り返し。夜に浮かぶ月は毎日形が変わるけれど、それだって数十日待てば同じもの。
 初めの頃は待ち焦がれた太陽。手に入れようと頑張った月。
 もう何もかもどうでもよくて。
 いっそ、何も無い闇に閉じ込められたかった。そうすれば初めから、ただ闇に堕ちていくだけだったのに。
 太陽と月が代わる代わる昇る。
 そんな事はどうでもいい事なのに、太陽が昇ると朝がやって来て、月が昇ると夜がやって来るのだ。
 どうせどうでもいい事だったなら、太陽も月も見えない場所で。
 時間を感じる位なら、いっそ時間が止まればよかった。そうすればもっと早く、簡単に壊れる事が出来たのに。
 何もかも分からなくなる位壊れて、心も記憶も狂ってしまって、哀れな位叫び続けたとしても。
 こんなにも心が痛いのなら、中途半端に色んな事を覚えていたく無かった。
 触れる事すら出来ない小さな羽。
 足首が腫れ上がりどんなに痛みが走っても、決して手が届く事は無かった。
 叫び続ける。
 どんなに叫んでも、二度と小鳥は羽ばたかなかった。
 目の前で風化していく小さな死体。羽は抜け落ち、皮は干からびて。
 自分の怪我はなかなか治らないのに、骨だけになるのにそう時間は掛からなかった。
 足の怪我が治る頃には綺麗に骨だけになった。
 外の時間の流れが嫌なのでは無い事に気付いた。自分の時が止まっている事が憎いのだと、やっと気が付いた。
 そうだ。ここにも時間が流れていれば、きっともっと早く、死ねていただろう。
 狂ってしまう前に、心が壊れてしまう前に、何もかも忘れてしまう前に。
 きっと死ぬ事が出来たのだ。
 骨は案外丈夫らしかった。手は届かないし、少しずつ砂に埋もれていっているけど。
 一つ、楽しみが増えた。
 俺は毎日小さな骨に喋りかける。起きた時は朝でも夜でも関係無く、挨拶する。思いついた事、くだらない事、物の名前、何でもかんでも話し掛ける。
 骨はいつも、じっと黙って俺の話に耳を傾けてくれた。
 月の大きい夜には、静かに二人で月を眺めた。喋り疲れて眠ってしまった時も、いつだって俺を見ていてくれた。
 初めに羽が見えなくなり、頭だけしか残っていなくても、俺を見守っていてくれた。
 とうとうお別れの日。
 最後まで残っていた頭骨が完全に砂に埋もれて消えてしまう前に、俺はお別れの挨拶をした。
 何て言ったのかは覚えていない。その頃にはもう、言葉なんて忘れてしまっていたのだから。
 また繰り返しの日々が始まる。太陽が昇ると朝が来て、月が昇ると夜が来る。
 でも分かった事がある。どんなに繰り返しの毎日でも結局時間は流れていて、何もかもが同じなわけじゃ無いって事。
 少なくとも俺の前に小鳥が現れた時は、確かに違う事が起きたのだ。
 太陽が昇ると朝が来て、月が昇ると夜が来る。毎日、毎日、毎日。
 だけど毎日月の形が変わるように、確実に時間は流れている。 
 いつかまた、違う日が来る時の為に。いつかまた、誰かと月を眺められるように。
 俺は言葉にならない言葉を紡ぐ。忘れないように、自分の名前を自分に言い聞かせる。
 いつか、この毎日を変えてくれる人が現れる時まで。
 いつか誰かに、名前を呼んで貰えるように。
 名前を言い続けた。


終。



五百年も閉じ込められてたら、普通の人間は狂い死にする。悟空はすごい。自我を少しでも保っていられたのだから。本当は名前なんかも全部忘れてたんだろうと思う。封印符に名前書いてあったんだよ、きっと。動物園の檻みたいに。でも個人的には名前以外を全部忘れてるのに、名前だけはかろうじて自分の口から三蔵に教えてあげられたって言うシュチュエーションが惜しい。だって金蝉から貰ったもんだもん。忘れるわけ無いじゃん。(ドリーマー)
原作の一瞬回想の小鳥の話、あれの続きが書きたかったんだよね。



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