鬱蒼とした獣道を掻き分けて進む。
「三蔵、こっちこっち!」
 前方を進む子猿は、まさにお山の猿よろしく、ひょいひょいと障害物をすり抜けていく。見失わないようについて行くのがやっとで、三蔵はつい舌打ちをしてしまうが、文句は言え無かった。
 連れていってくれと言ったのは自分なのだから。
 大きめの岩の上で悟空が待っている。
 追いつくと手を伸ばされた。
「ここ上がったらすぐだから」
 自分よりも小さい手。でも、自分よりも強い手。一瞬躊躇したが、その瞬間にふわりと上から小さな花弁が落ちてきた。
 まるで自分を急かすように姿を現した花びら。はやくおいで、と言っているようで。
 手を掴むと、軽々と引き上げられた。
「ほら、すげえだろ?」
 その光景に息を飲む。吹雪みたいだ、と言う言葉そのままで。
 それを聞いたとき、どうしても見たいと思ったのだ。
 その時三蔵は、相変わらず山積みの書類に目を通していた。疲れていたのかもしれない。ここの所休み無しで働いていたのだし。
 その書類の上に、一枚の花弁が落ちてきた。顔を上げるとすぐ目の前に遊びに行っていたはずの悟空が立っていて、頭にはまだ何枚か花弁がついていた。
 それは小さな桜の花びらで、思わず何処に咲いていたのか聞いてしまった。
 もちろん寺の敷地内にも桜は植わっていたが、それは違う物だと明らかに分かる。寺の桜は白っぽい色をしていたが、その花弁は薄紅色をしているのだ。
 聞けば遊び場にしている裏山に、大きな桜の木が満開になっているらしい。
 そして、
「すげえ綺麗。吹雪みたいなんだ」
と満面の笑顔で自分を誘う。
 その後の行動は早かった。私室の棚に常備してある日本酒を一瓶猿に持たせて、「そこに連れて行け」と一言だけ言って足早に寺から出た。やはり色々溜まっていたのだろうと思う。仕事ももちろん溜まっていたので、しばらくは後ろから坊主共の叫び声が聞こえていたが、そんなものはどうでもいい。
 とにかく、落ち着いて花見をしてみたかったのだ。
 そこは笑顔の宣言どうり、息を飲むほどの桜吹雪。樹齢は相当のものだろうと思われる大木で、今が一番の満開、散り際だった。溜息が出るような光景に、暫くは見とれてたたずむ。隣には、その三蔵込みの風景に見とれている悟空がいる。三蔵がごくりと喉をならしたことに気が付いて、割れないようにくくりつけていた酒瓶を差し出した。
「はい。飲むんだろ?」
 受け取って、新しい花びらの絨毯の上に、どっかと座り込む。思えばこんなに落ち着いて花見をするなど、何年振りだろうか。
 最後の記憶には光明三蔵が隣にいた。穏やかで、優しい時間。
『少しだけですよ』
 そう言って、良い香りのするお猪口を差し出してくれた。とても良い匂いだったから何となく飲みたくて、でも実際に飲んでみれば苦くて。たった一杯で顔がほんのり赤くなったのを覚えている。
 お猪口なんて持ってきて無いから、瓶の縁に直接口を付けて、豪快に酒を飲む。自分はあれから何処が成長したのだろう?酒だけは立派に飲めるようになった。
「なあ、さんぞー・・・」
 物欲しそうに悟空が顔を覗き込む。
「・・・・・少しだけだぞ」
「やったあ!サンキュな♪」
 良い香りなのだ、本当に。こんな綺麗な景色を肴に、美味しそうな匂いとくれば飲まずにはいられない。分かっているから、普段は飲ませないのに与えてしまう。
「ほら、もう返せ」
「うん」
 その顔にはほんのり朱色が差し込んでいて。滅多に飲ませてはやらないが、実は結構いける口だと知っている三蔵は、ついどれだけ減っているのか確認してしまった。
 あまり減っていなかった事に安心して、続きを飲む。
 少し暖かくなって気分がいいのか、悟空は三蔵の隣で大人しく桜を眺めている。
「三蔵、なんでここの桜だけ色が違うんだ?」
 桜の屋根を指差して言う。同じ種類の桜の木なのに、ここの桜は薄紅色に色づいていて。
「栄養とかの違いだろ。ここの方が枯葉とか虫の死骸とかが多いから、土壌が良くて色素が濃いんだろ」
「ふーん。三蔵って何でも知ってんだな」
「本当かどうかは知らん」
 そう付け足して再び酒を飲む。悟空は三蔵が言った事なら何でも正しい事だから、別に気にしなかった。
「じゃあさ、酒は三蔵の栄養?」
「は?」
「だって三蔵、赤くなってる」
 真剣に自分と酒を見比べる悟空がおかしくて、思わず吹き出してしまった。
 なんて猿らしい考えなのか。確かに自分にとっては栄養剤みたいな物だが。
「てめえだって、あれくらいで赤くなってんじゃねえか」
「でも三蔵の方が赤いよ」
 既に三蔵は一人で半分以上を空けているので当然なのだが。
「ここも、いつもより赤い」
 悟空が三蔵の唇に指を触れる。そこはいつもより色づいて、しかも熱かった。そのまま手が頬に回るのを、三蔵は黙って眺めている。
 溜まっていたのだ。色々と。最近は仕事が忙しくて休む暇さえ無かったし。こんなにゆっくり出来たのは本当に久しぶりで。薄紅色の花弁を見た時から、どうしても花が見たくなって、花見ならば酒は欠かせないし、酒を飲めばしたくなるのは自分の性分で、こんな人気の無い所にいるともなれば。
 気が付けば、どちらからとも分からず、唇を貪りあっていた。
 高ぶるような激しい口付け。誘われるままに舌を差し出せば、柔らかく絡み取られ、息吐く間もなく口内を犯された。
 甘い香りが広がる。弱い口内をくすぐってやれば、頬がますます赤くなった。
 ぐったりと、三蔵の身体が沈む頃にようやくそれは介抱される。悟空は三蔵に吸い付いたまま、首筋を伝って下に降りていった。
 唇から耳。耳から首筋。首から鎖骨。鎖骨から胸・・・通った道筋には薄紅色の花びらを散らして。
 花びらが雨のように降り注ぎ、三蔵のしっとりと色づく肌に張り付いていく。自分で付けた花びらと、降り注ぐ花びらと。花に埋もれていくその姿が、なんとも扇情的で美しくて。
 腕の中で鮮やかに咲き誇る大輪に、誘われるまま埋もれていった。


「へっくしょい!!」
 豪快な自分のくしゃみで目が覚めると、辺りは真っ赤な夕日に染まる時間だった。三蔵はあのまま疲れて寝てしまったのだ。悟空が脱がした着物を元通りにしたようだが、酒も抜けて汗もかいたまま寝てしまい、空気が冷えてきたせいで少し風邪を引いたようだった。
「起きろ猿。帰るぞ」
 行為の後は必ず自分に被さって寝ている悟空を殴って起こす。さして重たくは無いが身動きが取れないのが厄介だ。
「うん・・・三蔵、大丈夫?」
 目を擦りながら起きてくる。心配される方が恥ずかしいのだと言う事に、この猿はいつまで経っても気が付かない。
「いいから帰るぞ」
 もう一発殴って立ち上がる。身体の中をとろりと流れる不快感があったが、この際無視する事にした。散りゆく花に酔わされて、こんな日があってもいいだろうと自分に言い聞かせて。
 自分から誘ったその事実を、三蔵は酔いのせいだと片付けた。
「あ、お酒流れちゃってるよ」
 横倒しになっていた酒瓶を拾って、悟空が告げる。
「いいじゃねえか、栄養なんだろ?」
「そうだね」
 残っていた少量の酒もそこに撒いて。花びらだらけの三蔵の背中を払ってやった。
「綺麗だったなー♪」
 山を下りながら悟空が言う。
「そうだな。あけだけでけえのは滅多に無いからな」
「うーん、桜もだけど、三蔵が綺麗だった!いつも綺麗だけど、今日は特別綺麗だった!」
 力一杯宣言する悟空に鉄拳を繰り出して、うずくまる悟空を見捨てて先を進む。
「うー・・・三蔵のハゲ」
「誰がハゲだ!!」
 振り返ると笑顔で悟空が駆け寄って来た。山道ではすぐに追いつかれてしまい、仕方なく並んで歩いて行く。
「また来ような、三蔵」
「来れたらな」
「来年も満開かな?」
「満開だろ」
「栄養もあげたしね」
 空の瓶をちらりと見る。
「今度は八戒と悟浄も呼ぼうか」
「冗談だろ。あいつらなんか呼んだら酒がいくらあっても足りねえし、それに・・・」
 うっかり口にしそうになった言葉を飲み込む。自然に出そうになったその台詞に、自分が一番驚いた。
「それに、・・・何?」
「なんでもねえよ」
 黙らせる為にふわりと笑うと、悟空は真っ赤になって見惚れていた。八戒と知り合ってからこの戦法を悟空相手にだけ使うようになった。自分も随分性格が悪くなったような気がする。
 それに・・・あの穏やかな時間が惜しかったのだ。お師匠と過ごした時間とは少し違うけれど。
 二人だけで桜を眺めている時の、穏やかで優しい時間。
 来年も、ここに来たいと心の中で思う。今度はお猪口を二つ持って。
 満開の桜の下で、薄紅色に埋もれながら・・・。


END.



乙女・・・やっちまったよ・・・・乙女坊主だよ、こりゃ・・・。桜の話が書きたくなったのだよ。桜と言うより酒話?佐喜はテーマが無いと小説書けないんですが、急かしてくれたりリクエストしてくれる人が回りにいないので、無理矢理自分で「桜の話を93で書く」とテーマを作って書きました。馬鹿。って言うかこの悟空、実は知能犯?遊びに行ってたのにこっそり三蔵の仕事部屋に戻ってきて、さらに花びらを書類の上に落としてみたり。満開なのも偶然見つけたんじゃ無くて、毎日見に行って調べてたのよ、きっと。



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